寄り添う人ができた。
日々のはけ口として、このブログを使ってきたけれど、寄り添う人ができ、私の存在価値を示してくれて、大切にしてくれて、必要としてくれて、気にかけてくれて、そんな人がいると、自然に私の中の屈折した心が真っ直ぐになってきた。
ここで、はけ口にしなくても、心が満たされるようになった。
もっと早く気付いていたかった気もするけど、でも、孤独な時があり、自信がなくて、虚しく感じていた時があったからこそ、今こうして、幸せを感じていられるのだと思う。
あの頃の私と、今の私で、私は何が変わったか。
正直、対して変わっていないと思う。
拾われた私。
親とバトンタッチで、彼のゆりかごに入ったような、結局私は甘えた生活を送っている。
ふと、これでいいのかなと思ってしまうこともある。
最近、私は自分の人生を見切り始めている。
生まれつき、野心もなく、ハングリー精神もなく、大きな夢も抱かず、育ってきた私は、大物にはなれないのだと。
生きた証を残せるような、誰かに敬われるような、そんな人にはなれない。
私は大衆の一人であり、凡人であると。
そして、私に寄り添う人も、また、同じような人であるということ。
小さな幸せを紡いでいって、大衆に紛れながら、日本という小さな島国で、ちまちまと生きて、死んでゆく。
私にはそんな人生が似合っているたのだと。
幸せってなんだろうか。
私は今、少し人間として駄目になっている。
成長が止まり、現状に満足し、視野が狭くなっている。
友達の抱える孤独や不安。
私とのちょっとした温度差。
目的を持って生きたい。
夢を持って生きたい。
私の夢は何だろう?
私はどんな人間になりたいのだろう?
すべてが中途半端のまま育ってしまった私は、他力本願な人間になった。
流れのままにこのまま生きていいのか?
誰も教えてくれない。